エリハン♀のネタメモ
立たぬ鳥、流れざる星
「立つ鳥跡を濁さずっていうでしょ。去るならばあとしまつをきちんとすべきだ、って戒め。でもあれ、君にやられるとさあ、僕が困るんだよね。僕は君みたいにどこへでも行けるわけじゃない。関心を向けるべきはほかにある。でも、君の痕跡を辿れなくなるのは、すごく……なんていうのかな……うーん……、……あ。そう、そうだ。嫌だ。嫌なんだよ。わかる?」
「……私は君に黙って去ったりはしないよ。君こそ、私のとまり木でいてくれないと困る。私には、あちこちで羽根を休められる場所が必要なんだ。……すまない、こういう言い回しは、あまり慣れていなくて。ジェマがこうしろと」
恋とは知性が情動に引きずられる例外的現象・種の保存のための感情の偏り ではないらしい
「……あのさ。君には話したっけ。話してないよね。——僕、君といるときだけ、脈拍が異常に早くなるんだ。光を受けた君の髪がきらきらしたときも、煩わしそうに砂粒を払っていたのに僕を見て笑ってくれるときも、血流の巡る音が聞こえるくらい、体が熱をもつ。病気かと思ったよ。あるいは毒、精神にまで及ぶたぐいの。……でも、どうも違うみたいでさ。……ああ、毒っていうのは、あながち的外れではなかったかも。ともかく、僕は、君に、……君がとても好きみたいなんだよ。こういうのを、恋とあらわすんだよね。もしこれがそうじゃないっていうなら、なんだっていうの?」
禁足地を去るハンターとなぜかついてきている生物学者
「こ、こら。待て待て、待ってくれ。おかしいだろう」
「うわっ! なんだい、押してきて。なにもおかしくなんかないよ、変なハンター」
「変なのは君だ、エリック。君はどこに所属している、誰の編纂者だ?」
「星の隊所属。ハンターズギルド直名によりハンター・オリヴィアに随行している編纂者」
「そう。そのはずだ。ではなぜ砂上船に乗り込もうとするんだ」
「? 君が発つからだけど」
「ど、どこからそれを……いや、もういい。しかしどうして……そうか、わかった、ハンターズギルドに用向きが? それなら私が取り次ぐから、降りたほうがいい。さあ」
「えっ、嫌だ」
「えっ」
「嫌に決まってるよ! あらかじめ打診して、オリヴィアにもファビウス先生にもアルマにも許可を得て来たのに、このままとんぼ返りしたら僕が馬鹿みたいじゃないか」
「ええ……?」
「ほらほら、時間も押してるでしょ。乗って乗って」
「えっ、えっ? うわっ押すな、なあ、本当に独断じゃないんだよな?」
「違うってばー」
直すのはかんたん、心よりも(思い出の品が壊れた)
ぴし。
湖に張った薄氷を踏んだような音が、胸骨を伝ってきた。
ともすれば、まさか無理が祟り、実際に骨へ罅が入ったのかと胸元に触れたが痛みはやってこない。どちらにせよ耳障りだ。
代わりに指先に触れたのは、不規則に角ばった、硬さをもつ多角形——かねてより情を交わしているハンターと、お守りとして互いの目の色を宿した石を、と揃いで交換したペンダントである。
あれは数年前のこと、ああ今も昔も彼女に対する興味は薄れるどころか増すばかりだなあ、と想起するのもつかの間、まさか先程の不快な音は、と思い至る。とたんに青ざめ、襟に手を突っ込んでまさぐり、そうっと慎重に紐を引き上げてみる。すると、留具に吊り下げられている石は、縦方向にみごとにひび割れていた。
思い出の品。彼女の虹彩と同じ色。自然発生するのは珍しい色の石。それに、罅が。傷が……。
「ああーっ!?!?」
すっとんきょうな、哀しみも織り交ぜられた叫び声に、オリヴィアは「エリック! どうした!!」とすっ飛んでくる。
エリックは、せせらぐ沢でズボンと靴がびしょびしょになっても構わず座り込んでいた。
(いよいよ本当に体調でも崩したか……!?)
オリヴィアはエリックの肩を抱き、うつむいた顔を覗き込む。
「……お、オリヴィア〜……」
ぎょっとした。目元に赤みがさし、すっかりべそをかいていたからである。
「ど、どうした。何があった? よっぽどひどい怪我でもしたか? いったん帰還を——」
「ちがっう! っひぐ、ちがうんだ……ぼ、僕っ、僕たちの、ゔぅ、ぐすっ、おもいでがぁ゙……」
「すまないエリック、さっぱりわからない」
「だからあ゙、これっ……これが……おまもり! こわ、こわれ……ううう」
「……ああ、うん。なるほど……」
たぶん話にならない。彼が突きつけてきたそれを見れば、言わんとしていることはわかる。わかるが、現在は探索中だ。いくらオリヴィアが優秀なハンターといえど、敵地のただなかで無防備に相談に乗ってやるわけにもいくまい。
「やはり帰ろう。いまは鳥の隊もベースキャンプに戻ってきているはずだ。私ではなく、彼女に話を聞いてもらえ」
びっくりするほど泣き腫らすエリックを抱え上げ、セクレトに乗せてやる。釣りたてのカンランアミアのようにぐにゃぐにゃしていて運びづらかった。
鳥の隊、という単語を聞くたびにおおげさに黙るのがおもしろくて、オリヴィアは道中わざわざ彼女らを話に出したが、アトスに「リヴィ、やめてやれ」とたしなめられた。
のちに彼はめそめそとしながらハンターに語るが「僕は何もしてないのに壊れた」「東方ではお守りは番に大事あったときに壊れるものだそうだから、ハンターになにかあったのかと死にそうなくらち心配になった」「壊れたのは僕の心だったのかも」とのこと。
彼をなだめるハンターを尻目に、ジェマは手早くエリックのペンダントを修復してやるのだった。
うつして治そう
エリックが熱を出してへたばっているらしい。
アルマづたいにそう聞き及んだハンターは、一も二もなく、知恵熱かな? と思った。
しかし以前、アルマに「知恵熱とは、本来幼児が突如引き起こす原因不明の発熱、あるいは成人であればストレスに起因する高体温が(以下略)」と熱弁をふるわれたのを思い出し、安易な考えだったか、とも考えた。
皮袋に滋養強壮によい食材と薬草を詰め込み、星の隊のテントに向かう。
もしアルマのいうように、心因性のものならなおさら心配だ。そうでなくても、エリックは何かと不養生がちのため、この機会に精のつく飯でも振る舞ってやろうとスキレットと固形燃料も持ち出す。あるいは、また害性のある植物を口に放った可能性も拭いきれない。
道中、ハンターは通りすがりの何人かに「はやく行ってあげて」「一番の薬はあんただ」などと主語のない声掛けをされ、テントにつくまでに何度も首をかしげるはめになった。
それ以外は滞りなく到着したが、なにやらランプの光とともに騒がしい声が漏れている。ハンターはとっさに身をかがめた。
盗み聞きには積極的ではないが、経験則で隠動行動には慣れている。
『——、を——ぞ』
『——!! ———ら、絶————!』
内容はよく聞こえないが、オリヴィアとエリックがなにやら言い争っているようだ。
仲間内の揉め事はいけない。ハンターは所属している隊こそ違うが、結束の固い星の隊にはあまり気まずくなってほしくない。そしていまのエリックは病人。おとなしく寝ていてもらわないと困るのである。
テントの外から「エリック、オリヴィア。いるか? 私だ。入ってもいいか」と声をかけると、エリックのかすれた『ダ』にかぶせる形で、オリヴィアが『君か、ぜひ入ってきてくれ』と食い気味に応えた。オリヴィア! とエリックの怒った声が続いた気がする。
天幕をくぐると、オリヴィアがなぜかほっとした顔をして、「あとは任せた」と入れ違いざまに肩を叩いて出ていった。
もとより面倒を見るつもりで来たハンターは、ひとつ頷いてからエリックに向き直る。
額に濡れ布巾をのせられ、真っ赤な顔で、ベッドの上に寝かされ布団にくるまっている姿はなんだかあどけなさすらあった。
ハンターがふ、と笑うと、「なんで笑うの」とかさついた不平を垂れられる。謝罪もそこそこに、エリックの傍らに片膝をついた。
「エリック、体調はどうだ。あまり良くはなさそうだが……色々と持ってきたんだ、置いておくから食べられそうなら食べてくれ」
皮袋を置きながら言うが、エリックはいまだにぶすくれている。
ハンターは人の機微にうといので、エリックの機嫌が良くない理由がぱっとは思いつかない。しかし、体調不良の人間に愛想を期待するのも酷なものだ。
それでも、いつも弁のたつエリックがいやに静かだとどうにも心配で、ハンターはエリックの前髪に指をくぐらせ、彼の額に手のひらを添える。わあ、と悲鳴が上がった。
「すまない、冷たかったな」
「い、いや、いいけど……そうじゃなくて」
「……まだ熱いな。どこから風邪をもらってきたのやら」
至近距離でエリックの瞳を覗き込むと、エリックはくちびるをつんと尖らせる。彼がすねたときに見せるしぐさ、というのは、彼と親交が深くなりはじめてから知ったことだ。
「どうした。私が来てはいけなかったか」
「…………ある意味では、そう。来てほしくなかった。だって、こんな格好悪い姿、君にだけは見せたくなかったし、というか近いよ! うつる!」
思い出したように引き離そうとするエリックに、ハンターは目を皿にした。そしてすぐやわらかに弛めて、「なんだ、そんなこと」とさらに顔を寄せる。
「わあっ、な、何してるの! 『そんなこと』じゃないってば!!」
「大丈夫だ。……よく言うだろう、風邪はうつせば治ると。だったら私にうつせばいい」
信じられないものを見るエリックをよそに、ハンターは自らの額をかれの額にこつんとくっつけた。
「だからあ、それが嫌なんだよ、僕は……」
「狂竜症も自力で克服できる女だよ、私は」
「……はぁ〜〜……」
「な? 君に風邪をもらったくらいで、どうともならないよ。よく知ってるだろう」
「…………逆に熱が上がった気がする。おかしいな」
「えっ! おかしいな」
エイプリルフール(※下世話な内容)
エイプリルフールという催しがあるというのは知っていたが、ハンターがそれに乗じたのは禁足地に赴いてからのことだった。
何やら深刻そうなアルマから「ジェマさんが、アイルーの言語しか喋れなくなってしまったそうです」と聞き、そんなことがあるか? と疑心半々でジェマのもとにと行けば、本当になにを話しかけてもニャーとしか返ってこない。
前例のない病だ、と困り果てたハンターが「にゃ……にゃあ……?」と律儀に返事をすると、となりにいたオトモとジェマが噴き出した。
「ぷっ……あはは! ハンターさん、今日がなんの日か知らないの……? ふふふ」
「っくく……あー、おかしい。相棒、エイプリルフールだよ、エイプリルフール」
エイプリルフール。そういえばそんな行事があったな、と思い至り、「まさかアルマも共犯か?」とまたもやまじめくさった顔で訊くと、ひとりと一匹はとうとう腹を抱えてひーひー大笑いした。
ちょっとだけ解せない気持ちを抱きつつ、ならば自分もとオリヴィアのもとに出向いたハンターは、なるべく真実めいた色を帯びるよう「オリヴィア。……じつは、ギルドの勅命で、本土に戻ることになったんだ。すまない」と嘘をついてみた。
すると、オリヴィアが目を丸くする。いかにも残念そうな面持ちだった。
「急だな。……いつ発つんだ? ファビウス卿はご存知だと思うが……こちらには帰ってこないのか?」
そう真摯に返されたところで、ハンターは猛烈に後悔した。
「……エイプリルフールだ。すまない」
しおらしい謝罪に、オリヴィアは何度かまじろいでから、ふっとどこか母性の宿った眦をやわらげる。
「なるほど。君は賢いな。たとえエイプリルフールでも、人を心配させたり、傷つけるような嘘はいけないと、発言してすぐに理解したんだろう?」
「すまない……」
たまらず片手で顔を覆ったハンターの肩を、オリヴィアのガントレットに覆われた手がぽんぽんと優しく叩く。
「では、私も嘘をつかせてもらおう。実は私は、ハンター業には向いていないと自負しているんだ。ハンマーを握る手など、いつも震えてしかたない。エリックには見せられない姿だな。あの日、ウズ・トゥナに対峙したときは、恐怖ばかりが足を絡め取っていたよ」
と、おそらく冗談で場を和ませてくれた。同時に、さすがオリヴィアだなあ、と素直に感嘆した。
「巧みな嘘だな。君の強さを知っているものなら、まさか、と思うだろう」
「ははは。ハンター、君の信頼を得ているようでうれしいよ」
◆
今度こそえもいわれぬ嘘をついてやろうと懲りずに決意したハンターは、昨晩から鳥の隊テント内に居座ってよくわからない琥珀のような石をさまざまな角度から眺めているエリックに「なあ」と意識を向けさせる。
「ん? どうしたの」
「君に伝えておかなければならないことがある。聞いてくれ」
ただならぬ気配を感じ取ったらしいエリックは、緊張で肩をこわばらせ、そろそろと琥珀を傍らに置いた。
「な、なに……?」
よもや別れ話ではあるまいか。僕なにかしたかな。思い当たるふしは正直かなりあるが、するならするでもう少し心の準備をさせてほしかった。一気に悪い方向へ思考が流されたエリックの背に冷や汗が伝う。彼はハンターに惚れてからというもの、いつもこんな調子で感情が忙しかった。
そんなエリックの激流のような心情などつゆ知らず、ハンターはなるべく真実に聞こえるよう、しかし大げさになりすぎない程度に、彼の揺れる目を見つめながら口を開く。
「……じつは、私は男性との触れ合いに……ああ、抱擁や接吻など、そのあたりは問題ないのだが——」
エリックの顔が今度は紫を経由して赤くなった。
さながら血流の状態でヒレの色を変化させるタマミツネのようである。ハンターが「抱擁」「接吻」と恥ずかしげもなく言うたびにひっくり返りそうな心地になった。実際、心臓がまるきり上下に反転したのではないかと思う。
単語自体は、特段艶めいたものではないはずが、好いた相手がそれを言うと毒に転じるのだなとエリックはそのとき初めて知った。文学には明るくないので。
かろうじて「う、……うん……」とちいさな声でうべなったが、それが彼女の耳に届いていたかは微妙だ。
「——いわゆる、深い触れ合いは、どうも……だから、もしかしたらエリックには不便をかけるかもしれない。申し訳ない」
これはなかなかうまくいったのではないだろうか。笑ってしまわないように言い切れた。
このあと、エリックが顔の色を七変化させるのを横目に「嘘だ、君とならなんだって」と訂正してやればいい。ハンターはエリックとの交流を通し、彼をからかう悪い遊びを覚えてしまっていた。
彼の喉仏が上下する。息をのむ様子までは予想の範疇だ。うまくひっかかってくれた、と上がりそうになる口の端をどうにか留める。
いくら本業のことにばかり時間を割いている男とはいえ、エリックも若く、健全な青年である。そんな彼に無理を強いるのも酷だろうと、早々に嘘を撤回しようと身を乗り出す。
——しかし。ハンターの意思とは裏腹に、エリックは彼女よりも早く行動した。
ハンターの両手を、自分の両手でまとめて包み込んだのである。エリックの手のほうが大きくて、やはり節くれだっているなと思う暇も、そのときばかりはなかった。
ハンターが意表をつかれて瞬きばかりを繰り返しているあいだ、エリックはふだんより何倍も言葉を吟味したようすで、かつ早口にまくし立てながら、まっすぐな視線を向けてくる。
「し、知らなかった!! ごめん、僕、君が……過去に、何かあったかは聞かないけれど、もしかしたら嫌なことがあって、苦手になった? の、かもしれない、よね? だったら……うん、我慢できる。できるよ。こうして、手に触れるくらいなら、いいんでしょ。だったら……」
語尾に向かうにつれ、ゆるやかになっていくスピード。その場の思いつきで単語を舌にのせているのか、饒舌な彼にしてはめずらしく訥々としていて、支離滅裂だった。エリックはハンターの手の甲を、慈しむように指で撫でる。
「……だから、君が嫌がることはしない。嫌われたくないよ。失望もされたくないし、怒られたくない。君のそばにいれるなら、僕はそれでいいんだ……繁殖行為なんて、しなくても。僕たちはつながっていられる……」
そこまで口にして(繁殖行為って言ったな、とハンターはまたびっくりした)、彼はへにょへにょとくずおれる。それに従い、ハンターも床に膝をくっつける。
「はああ〜………よかったあ……僕、君に捨てられるのかと思った…………」
「っそ……そんなことあるわけがない。私がエリックを離すことなどないよ……」
どうしよう。誤解を撤回できる空気ではなくなってしまった。
白状できるにはできるが、彼にここまで決意させておいて嘘でした、というのは、あまりに身勝手である。ここでハンターはようやく、これは小さな戯れなどではなく、やってはいけないたぐいの虚言だった、とまたもや後悔に暮れた。
——自分に口八丁は向いていない。次からはもう嘘をつくのはやめよう……。
ハンターは人知れず、建設的な決心を固めるのだった。
なお、そのせいでハンターとエリックの関係はたいへん清らかに育まれ、数年後にヴェルナーがエリックに「あんた、不能なのか?」といわれもなければデリカシーもへったくれもない発言をし、オリヴィアに後頭部をひっぱたかれるのは、別の話。
ずるいひと
「君は私をずるい、ずるいと言うが、ずるくなきゃやっていけないんだ。素面でエリックと相対すると、年甲斐もない態度になってしまいそうで」
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